機械式計算機、あるいは手廻し計算機 (手回し計算機) とも呼ばれる計算機です 日本、中国では算盤が普及した為、計算にそれはど不自由しませんでしたが 西洋では、ネピアの計算棒等、少々手数の掛かる用具で計算していました 19世紀にイギリスで機械工業が発達すると、アリスモメートル計算機等の、 機械機構を使った計算機が登場、次第に改良が加えられて、19世紀末には オドナーが今日知られているスポークホイール式の計算機を完成、世界各国で これを模倣した計算機が作られました。 日本では、発明家、矢頭良一氏が自動算盤を完成、 又、大正12年には 大阪の大本寅次郎氏がオドナー式計算機の国産化に成功、虎印計算機の名で発売します。 虎印計算機は、洋風に「タイガー計算器」と名前を変え昭和40年代に電卓が 出現するまでにおよそ50万台生産されます。 しかし、次第に電卓に押されて、使われなくなり、ゴミとして捨てられている物があると、 元々この手の機械が好きな私は拾ってきて、ハンドルをグルグル チーンと回して 遊んでいたのです。 かっては、科学計算、工業技術計算に多用され、カメラ会社では数百人の女性計算員が ハンドルをグルグル廻して、光学計算をしていたそうです。 当地、峰山町にも、日本計算機があり、タイガー計算機と並ぶ、大きな会社があった事を 若い人にも伝えて行きたいと思います。 私も小学生の頃、宿題を計算機でやっていたことを思い出し、屋根裏部屋から探してきました、 綺麗に掃除して紹介します。 元々家にあった物、拾ってきた物、貰ってきた物、などです。 |
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タイガー計算器 製造番号44 大正12年製造 創業年に製造された初期の製品です 前面にTSUKAGUCHI KTOTO JAPAN と印刷されていますが、当時、販売代理店であった 塚口商店の表記です。 |
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100年近く前の製造ですが 現在でも計算できます |
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キャリングケース | |
タイガー計算機、製造番号 17703 昭和12年製造 |
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内部構造 | |
タイガー計算機 戦前のロゴ | |
タイガー計算機 戦後のロゴ | |
タイガー計算機、製造番号 109400 昭和29年頃 私見ですが、コレクションとして、手に入れるなら、この頃の物が 一番良い、ダイヤル以外のほとんどの部品が金属で出来ていて、 壊れにくく、手作りの良さも残っています。 これ以降の、位取り指針がプラスチックの物は、経年劣化で、 この指針が壊れやすいのです。 |
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タイガー計算機、製造番号 133364 昭和31年頃 某大手自動車メーカーの会計課で使われていた物、 電算化で不要になった物を社員の方がもらって帰り、 それを私が譲って頂きました。 |
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タイガー計算機、製造番号 170799 昭和34年頃 | |
峰山町で製造された日本計算機 HL-21型 製造番号 195121 この計算機は、日本計算機の本社から購入したもので、 価格は確か、3万円か4万円位だったと思います。 そんなわけで、説明書もまだ在りました。 購入数年後、突然、サービスマンの方が訪ねて来られ、 カバーをはずして、整備をしてくれました お金がいるんですか?、と訪ねたところ、アフターサービスですから、 いりませんと言われて帰られました ああ、何て親切な会社なんだと、感心した事を覚えています。 |
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タイガー計算機の内部、右の写真は、当サイトで紹介している、米軍暗号機M-209の内部です 同じ数学機械という性格からか、似た雰囲気です。 |
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機械式計算機ではありませんが、IBMのホレリス式計算機に 使われたカード穿孔機です 19世紀末に米国の国勢調査の集計を機械化するために、 開発されたパンチカード式集票機は戦前、戦後を通じて、 1950年代まで各国で使われました。 第二次大戦中は暗号解読に大きく貢献したことでも有名です ホレリス機は本体、カードリーダー等、とても大きくて、 穿孔機くらいしか入手出来ません。 画像をクリックして下さい、ホレリス穿孔機のページへ移動します |
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80列ある内の、どこに穴を開けるかによってデータを入力します、 初期の穿孔機は指の力だけで穴を開けていたので、 オペレーターは腱鞘炎に悩まされ、すぐに電磁石の力により 動作するよう、電動化されました。 |
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